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仏さまはいらっしゃるの?

 仏さまはおられるのか、おられないのか。皆さんはどう思いますか。

 

 親鸞聖人は『唯信鈔文意』で、「法身は、いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり。」(『真宗聖典』六七九頁)と示されています。「法身はいろもなし、かたちもましまさず」は、阿弥陀仏が目に見えないことを意味します。そのため、「こころもおよばれず、ことばもたえり」と、心で思い描くことも言葉で表すこともできないとされています。つまり、阿弥陀仏は色も形もない真理そのものであり、悟りそのものであるとおっしゃっています。

 

 では、色も形もない仏さまは、その存在をどのように証明できるのでしょうか。福井県にある仁愛大学の学長、田代俊孝先生は、色や形がなくても存在しているものの例として「風」を挙げておられます。「風は色も形もありませんが、風があるかないかは私たちにわかります。木がそよそよと揺れたり、戸がガタガタと音を立てれば、風があると感じるでしょう。つまり、風の働きを通して風の存在を認識しているのです」。そして、それは「仏さまも同じです。智慧や慈悲といった働きがあるのです。智慧とは、私が凡夫であることを知らせてくれる働きであり、『智慧の光明』と光に例えられます。それによって私は『無明の闇』を知らされるのです」とおっしゃっています。

 

 考えてみると、目に見えないものはたくさんあります。例えば、ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て発見したと言われる「引力」。また、回転する物体に働く「遠心力」もその一つです。「引力」と「遠心力」の合力である「重力」も目には見えません。「磁力」も同様です。しかし、これらの発見があったからこそ、科学は進歩してきました。

 

お釈迦様によって発見された阿弥陀如来とその働きは目には見えません。しかし、それは永遠になくならないものであり、人間の苦悩を取り除き、安心して生きることができる智慧です。親鸞聖人はそれを「無量光」「無量寿」として受け取られました。

 

 仏の存在は、なかなか信じられないかもしれません。それは、私たちが仏さまの働きの中にいながら、それを感じることができないからです。このことを「仏智疑惑」と言います。他力の念仏ひとつで救われることを疑いなく信じ、お浄土への道を歩ませていただきたいものです。