· 

木村選手の金メダル

 

 8月31日、2024年パリパラリンピックの競泳男子50メートル自由形、視覚障害クラスで木村敬一選手が金メダルを獲得した。それに続き、9月6日の男子100メートルバタフライでも金メダル。2008年の北京大会から5大会連続で出場しており、今回で通算10個目のメダルとなる。

 

 木村選手は1990年に滋賀県栗東市に生まれ、2歳の時に「増殖性硝子体網膜症」と診断され視力を失った。小学校は彦根の県立盲学校に入学。家族とは離れた寄宿舎での生活だ。母親は毎週末、息子のためにカレーライスや焼き肉を作り、父親は琵琶湖で水泳や野球観戦、栗拾いを共に楽しんだ。水泳は小学校4年生の時に始めまたが、週に一度、母親が寄宿舎から連れ出し、スイミングに通わせたことがきっかけという。卒業後は筑波大学附属盲学校中学部に進学して水泳部に所属し、本格的に水泳に取り組んだ。彼自身の努力はもちろん、両親や家族、周囲のあたたかい支えが今の彼の成長へとつながったのだろう。

木村選手が講演で語る「夢に向かって諦めない姿勢」は、多くの人々の共感を呼び、生きる自信を与える。また、「視力はあった方がいいに決まっているが、この状況から逃げたくはない」という言葉には精神的な強さが表れている。

 

 かつて3歳で突発性脱疽により両手足を切断した中村久子さんは、親鸞聖人の教えをよりどころにして努力と強い精神で生き抜いた。彼女の「私の本当の先生はなくなった手足でございます」という言葉は、自分をありのままに受け入れ、智慧に照らされた生き方を示している。これは木村選手の精神性にも通じるようにも思う。

 

 『阿弥陀経』には「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」とあり、それぞれの色の蓮の花が光り輝く様子が描かれている。これは自分の花を咲かせ、いのちを輝かせることができることを示している。木村選手が与えられた境遇を受け入れ、目標に向かって輝いている姿に、栗東市民として心から拍手を送り、「生きる」ことの崇高さを学びたいと思う。

 

参考 「チャレンジド」(朝日新聞)http://www.asahi.com/special/challenged/swimming/keikimura/01.html?=fromTop#panorama