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パリ・オリンピック閉幕

 七月二六日から八月十一日まで、フランス・パリを中心に開催された第三三回オリンピック競技大会が幕を閉じた。開会式はパリの中心部を流れるセーヌ川で行われ、競技会場にはエッフェル塔、ヴェルサイユ宮殿、コンコルド広場など、世界遺産や歴史的建造物が含まれていた。テレビに映るその光景からは、パリの歴史の重みを感じ取ることができた。このような名所や既存の施設を活用したことで、オリンピックにかかる経費は低く抑えられたという。近代的な豪華さを誇示するのではなく、成熟した社会における在り方への転換であり、今回のフランスの試みには感心させられた。

 

 オリンピックの期間中、テレビでは日本選手の健闘する姿が映し出されていた。日本選手が勝利すると、思わず「やった!」と声を上げることもあった。自然と日本選手の応援にのめり込んでいる自分がいた。しかし、そのうちに、世界中の選手たちの素晴らしいパフォーマンスに素直に感動し、拍手を送る自分もあった。

 

 オリンピックは人の心を熱くする。その理由の一つは、選手たちの真剣勝負にある。彼らが見せる磨き上げられた技と体力は、人類の限界を感じさせる。ひたむきなまなざし、あきらめない姿勢、そして、勝利に喜ぶ姿には、崇高ささえ感じる。もう一つは、勝負が決した後の敵味方を超えてお互いを尊重する姿だ。ハグや握手には清々しさがある。さらに、彼らが口々に語る、支えてくれた人々や応援してくれた人々への感謝にも心を打たれる。そこには、勝ち負けにこだわる「俗の世界」を超え、お互いが尊重され、ともに安心できる、「聖の世界」が存在する。きっと「お浄土」とはこのような心地よい世界なのだろう。

 

 今回のオリンピックで残念だったのは、ウクライナへの軍事侵を理由に、ロシアとベラルーシは国としての参加が認められなかったことだ。次回のロサンゼルスオリンピックは、世界の選手とロシアやベラルーシの選手たちがともに真剣に勝負し、競技の後にお互いをたたえ合う「お浄土」の光景が見られることを願いたい。派手な大会でなくてもよい。平和の祭典でありたい。