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「親鸞さんの話をしよう」④ −親鸞聖人を「聞く」−

 今回の法話会は、親鸞聖人をまるごと聞く機会となった。浄土真宗では「聞く」が大事にされる。この「聞く」は私たちが日常行う「聞く」とは少し違う。教養話として聞くことではない。自分の課題解決のために都合のよいところだけを聞くのでもない。

 

 では、何が大事なのか。それは「法」を聞くことである。「法」とは必ず私を救おうとする阿弥陀如来の声である。「南無阿弥陀仏」を聞き、自己の内面と対話する。おのずと、自我に執着する恥ずべきわが身が照らし出される。自分も親鸞と同じ罪悪深重、煩悩具足の凡夫であったと教えられる。そこに、私に救いを向ける如来のはたらきを「聞く」のである。

 

 「きくというは 信心をあらわす 御のりなり」(『聖典』『一念多念文意』534頁)。すでに私の所に届いている本願を疑いなく「聞く」ことで信心へと導かれるのであろう。今回の御法話を聞かせていただいたことを有難く思っている。