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春風や 闘志いだきて 丘に立つ

 いよいよ春4月。新しい年度が始まるこの時期、いつも高浜虚子(1874~1959)の句、「春風や 闘志いだきて 丘に立つ」を思い起こす。春の風を感じながら、今年もやる気に満ちた心で挑戦していこうとする決意が読み取れる。

 

 句の背景には河東碧梧桐(1873-1937)との争いがあったとされる。虚子は、師である正岡子規が亡くなった後、俳句の世界から離れて小説の執筆に没頭していた。しかし、同じ門下である碧梧桐らが、従来の五七五調や季語などの形式にとらわれない新しい俳句運動を広めたのに対し、虚子は子規の伝統を守ろうとこれに抵抗した。句中の「闘志」は、碧梧桐に対する対決の意志が示されている。

 

 このような背景はさておき、目標に向かって進む覚悟を新たにするのに、この句はふさわしい。私なりの解釈を示そう。

 一つは「春風」である。一般的には「はるかぜ」と読み、穏やかで暖かい風を指す。闘志を支え励ます風である。一方で、「しゅんぷう」とも読める。春の風を冷たく厳しいものとして捉える。特に現役時代、順風満帆な年の四月には「はるかぜ」、また、厳しい門出と感じた年には「しゅんぷう」と読み、困難に立ち向かう覚悟を新たにした。

 今一つは、「丘に立つ」である。小高い丘に立つと広く景色を眺めることができる。丘は新たな展望をもたらす立脚地だ。清沢満之(1863-1903)は、「吾人の世に在るや、必ず一つの完全なる立脚地なかるべからず」と述べた。そして、「完全なる立脚地」は「絶対無限者」によると指摘している。人間の力を超えた無限の存在は、つまずきや失敗を受け入れ、新たな道へと導いてくれる。その存在があれば安心して歩むことができる。一人で解決しようとせず、他者の助けを受け入れながら、さらに、絶対無限者を立脚地として進んでいけばよい。

 

 この四月、私は「はるかぜ」に押されて新たな歩みを始めた。「絶対無限者」を立脚地とすることで、安心できる自分と強くなれる自分がいる。

〔参考〕『清沢満之全集(第六巻)』岩波書店 2003年