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「親鸞さんの話をしよう」① −「獅子吼の会」法話会−

 難波別院(南御堂)で開催された「獅子吼の会」の法話会を聴聞した。「獅子吼の会」とは真宗大谷派(東本願寺)大阪教区の有志で構成され、法話研究を中心に聞法や研修を重ねているサンガ(集団)である。今回の法話会は、「三夜連続法話の会」と名付けられ、2月、3月にそれぞれ3回、計6回開催された。テーマは「親鸞さんの話をしよう」だった。

まずは、親鸞聖人(1173-1263)の生涯をまとめておこう。

 

・誕生・出家(9歳)

  1173(承安3)年、京都で誕生。9歳の時、出家・得度。以後、20年間、比叡山延暦寺で修行と学問にはげまれた。しかし、修行に打ち込めども、自力の行では人々を救うことができないことを感じ、さとりを開く道を見出すことができなかった。

・法然上人とのであい(29歳)

 民衆とともに救われる道を求め、29歳で比叡山を降り、聖徳太子建立の「六角堂」へ百日参籠。そして、95日目の暁、聖徳太子の夢告に導かれ、吉水の地の法然上人を訪ね、本願念仏の教えに出遇われた。この出会いが聖人の信仰を決定的に変えた。

・越後・関東での生活(35歳から60歳ごろ)

 念仏一つでだれもが救われわれる法然上人の教えに対して、興福寺や延暦寺などの他宗からは強い反発があり、朝廷は念仏弾圧に踏み切った。法然上人は土佐(現在の高知県)へ、親鸞聖人は越後(同 新潟県)へ流罪となった。5年後、流罪が許され、聖人は関東に20年間滞在され、念仏の教えを広く伝えていかれた。

・京都での生活(60歳ごろから90歳)

 60歳ごろ関東から京都に戻られ、教えを広めるとともに著作に専念した。一方、関東では念仏の受けとめをめぐって混乱や対立が起こった。それをおさめるために、聖人は長男善鸞を関東に向かわせた。しかし、善鸞は聖人の教えをゆがめる教説を広めてしまった。結果、聖人が善鸞を義絶するという出来事もあった。そして、1262(弘長2)年11月28日、聖人は90年の生涯を終えられた。遺骨は、大谷(現在の京都市東山区)に埋葬され、後に小さな廟堂が建てられた。

 

 このような生涯を踏まえ、法話会では聖人の出来事を21取り上げ、それをテーマに21人の法話者が自己の体験や思いを重ね、参会者に語りかけた。法話者の個性を生かした話と語り口に魅力を感じ、6日間にわたる法話のすべてを聴聞した。法話全体を通し、聖人の「南無阿弥陀仏」と信の教えが伝わってきたように感じた。また、大阪の地でこのような法話会が、長く手弁当で運営されていることにも感心した。

〔参考〕東本願寺HP「親鸞聖人の生涯」

https://www.higashihonganji.or.jp/about/shinran/