鹿児島市の中心部から車で40分ほど行ったところに花尾念仏洞がある。駐車場で車を降り、うっそうとした木々が生い茂る細い道。湿った苔で覆われ、その不気味にも思える緑色がまわりの石を包み込んでいる。だれもいない山道を一歩一歩踏みしめながら登る。息遣いも荒くなる。200メートルくらい登ったであろうか。そこにみたのは岩の壁に開かれた高さ1.5メートルほどの洞穴であった。
身をかがめて中に入ると、八畳ばかりの空間が広がり、阿弥陀如来が安置されていた。花が飾られ、数本のろうそくにはともされた形跡がある。
なぜ、このようなかくれ念仏洞が存在するのだろか。鹿児島に浄土真宗が伝わったのは室町時代中期1505年頃である。教えが広まると、南九州の人吉藩やここ薩摩藩では、「阿弥陀如来の前にすべての命が等しい」というみ教えは当時の封建体制にそぐわないと危険視するようになった。そのようななか、16世紀後半から明治に至るまで行われたのが、浄土真宗の禁止と弾圧であった。念仏を申すことができない信者は講を組織し、仏壇を持ち込み、山の中や洞穴などでひそかに「南無阿弥陀仏」を称えた。身を隠して信仰を守ったのである。
見つかれば処刑も免れない。命がけの信仰である。何者にも屈せず苦難や試練に立ち向かう気概と勇気。自己に向き合い、内なる平穏を求める心に、信者らの確かな信心を感じた。