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「かくれ念仏」の地を訪れて② −涙石−

 西本願寺鹿児島別院の境内には「涙石」と呼ばれている石があった。念仏弾圧の歴史を象徴する石である。

 

 信者を割木の上に正座させ、20~30kgのこの石を乗せて左右に揺さぶったという。その動きに皮肉が裂け、血が流れ、骨が砕ける。それが自白するまで続けられる。「涙石」には信者の涙という意味があるのだろう。さらに、改宗の意思がない者には斬首、はりつけ、火あぶりなどの極刑に処されたともいう。

 

 ここまでして、為政者は念仏を弾圧しなければならなかったのだろうか。「阿弥陀如来の前にすべての命が等しい」という教えが、藩の支配にそぐわなかったことは先に述べた。ほかにも諸説がある。加賀一向一揆や石山合戦に代表される浄土真宗の信者の結束による行動は、為政者には脅威であった。また、経済的に困窮していた薩摩藩は、真宗門徒が本願寺へ大金が納めることで藩の財政が圧迫されることを恐れたともいわれる。いずれにしても藩の体制を守るための念仏弾圧であったことには変わりない。

 

 現在も、鹿児島、宮崎の各所には隠れ念仏遺跡が多く残存する。厳しい禁制の中であっても、山の中や洞穴などに集まり、正信偈をあげ、仏法を聞き、お念仏を申す。世俗の喧騒をよそに、静寂の中で自らと向き合うその姿に、「念仏者は、無碍の一道なり」(『歎異抄』第七章)を教えられる。絶望と苦しみの中にあっても、何者にも屈することなく、法灯をつなぐ念仏者の生きざまは、まさに無碍の一道である。

 

〔参考〕本願寺鹿児島別院HP

https://www.hongwanji-kagoshima.or.jp/kakurenenbutsu/rekishi.php

五木寛之『隠れ念仏と隠し念仏』講談社 2005年