2月8日の中日新聞(夕刊)の第一面に、「地震の翌日、遺体安置所の中学校に読経が響いた 輪島の集落で寺守る僧侶」との見出しで、輪島市の住職のことが掲載されていました。この方こそ、私に電話をくれた友人(先のブログで紹介)です。
記事によると、地震の翌日の1月2日からご遺体が運び出された8日まで、彼は、毎日遺体安置所で読経し、ご遺体に花をたむけました。ピーク時には布団や毛布にくるまれたご遺体が17も安置されていたとのことで、その悲惨な状況とご遺族の憔悴しきった様子が目に浮かびます。
その後、彼は、犠牲となられた方の葬儀と法話をお寺で行っています。立派だった本堂は内部の損傷が激しく、また、この地区には未だに電気も通じていません。吐く息も白く、寒さは厳しい。そのなかで、ほのかなろうそくの光がまわりを照らす。厳粛なお葬式です。式をあげたご遺族の「ほっとしている」の言葉。お葬式が悲しみに打ちひしがれているご遺族にわずかながらも安心をもたらしていることを感じます。私もほっとします。
彼は言います。「僧侶としての責務と思う。住民のため、寺を出るつもりはない」。寺を離れず、地域の人々に寄り添う姿に、僧侶としての使命と地域住民への深い思いを感じます。自らも地震やその後の苦難に直面しながらも、地域の方々に安心を提供している友の尊い生きざまに感動しています。